働き方改革という言葉が定着して久しいですね。
これほど日常的に目にすると言うことは具体的に何をしたらいいのか分からないから試行錯誤を繰り返していると言うことなのでしょう。
試行錯誤の過程でよりよい概念が生まれてくるのは健全だと思います。
私が思うに働き方改革は生き方改革と呼ぶ方が分かりやすく、本質を突いていると思います。
西洋的な思想の一つとして、「人間は本質的に働きたくない。しかし、生活の糧を得るために働かなければならない。だからできるだけ短時間で効率よく働いて稼ごう」と言う考え方があります。
一方、「働く事は人のために尽くすことであり、人間本来の人に喜んでもらうことが自分の喜びだ。働く事によって喜びが得られるだけでなく、自分自身を成長させる」というような考え方もあります。
いろいろな考え方があるので、どれが正しいとかどれが正しくないとかそういうものではありません。
私は業務効率の向上、生産性向上の手段として自動化を一つの武器にしています。自動化以外の生産性向上の手段としては、業務プロセスを変える、事業領域を変えるなどがあり、これらも私の武器です。相互作用もあります。
そもそもなぜ働くのか。と考えたときに、前者の「そもそも人間は働きたくない」の路線で行くと自動化は非常に分かりやすいものです。
もう一方の、仕事をすること自体に意味を見いだす後者において自動化は敵なのでしょうか。
この疑問は言葉の定義が曖昧なまま議論を進めた結果に起きると思います。
仕事=作業の人はそうなってしまうと思います。作業は何かの目的を達成するための手段です。
つまり、何かの作業は、何かの仕事をするために必要なステップであって、作業そのものが仕事ではありません。作業をして仕事をした気になっている同僚をよく見ます。というか、大半がそうだと思います。
作業の部分を自動化して仕事をする効率を上げる、というのが自動化の本質です。
普段の業務を見直してみましょう。あなたの業務はどれくらいが仕事で、どれくらいが作業ですか。
ここまで議論を進めると、上述の2つの考えは交わってきます。
「そもそも人間は働きたくない」は踏み込みが足りず、「そもそも人間は人を喜ばせるための有益な仕事によって満足感を得たいのであって、その準備段階であるつまらない作業はしたくない」というのが妥当ではないでしょうか。
これは生活の糧を得る為の仕事の話だけではありません。
誤解(と炎上)を恐れずに言うと、被災地ボランティアで貴いのは汗水たらして瓦礫を取り除く作業そのものでは無く、瓦礫の下に埋もれている人を助け出すことです。非力な女性が汗水を垂らしている姿は感動的ですが、作業と仕事を混同しないのが大事です。もしスーパーマンがいて片腕で10倍の速さで瓦礫が取り除けるならそっちの方がいい。
それなら非力な女性の努力は無駄か?いいえ、そうではありません。この例が被災地ボランティアなので、すぐにできることをする、というのが貴いので、素晴らしいです。
普段の業務に置き換えてみましょう。一つ一つ汗水たらしてデータを入力するのが貴いのか。これはNoです。もしスーパーマンがいて自動で10倍の速さで入力してくれるならそっちの方がいい。
これが働き方改革だと思います。結果として業務時間が減って、残業が減るかもしれません。それは結果です。残業を減らすために自動化を進めるのでは無く、より本質的な仕事に時間を割くために自動化するのが働き方改革です。
「働く」を作業から仕事にシフトする。
働く事が人を育て、人生を豊かにするのであれば、作業を仕事にシフトする事は人生を充実させることそのものです。
働き方改革の本質を読み取ろうとすると、生き方改革という言葉の方がしっくり来るのです。
ところで、「ワークライフバランス」と言う言葉は働く事をライフ、つまり生きることの敵だと思っているのでしょうか。ワークはライフの一部ですよ、と言いたい。ああ、仕事と作業の区別がつかない人の使っている言葉でしたか。失礼しました。